大体いちにち一歩

日々を過ごして触れたことや思ったことを自由に書いてます。

普通になりたかった。

またしばらくサボっていました。「死ぬまでの記録」をモットーにしてるので、どんな些細なことでも一日一日綴るようにしたいです。

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「普通」に過ごす事ってとっても難しくて、普通に過ごせる人は本当にすごいし尊敬するなあと思います。

 

というのも、バイトさえうまく決まらない毎日が続いていまして。面接まではどうにか辿り着いても、面接日になると身体が重くて動けなくなるんですよね。「鬱は甘え」と言われても仕方ないなぁと自己嫌悪。

しかも私の場合中卒なので。何かと中卒というレッテルが付き纏う訳です、もちろん好奇の目線はあっても良い顔はされません。

 

「普通」を嫌う人はいますが、普通に生きれるのなら絶対普通に生きた方が良いと思います。

確かに私は周りとは少し違う人かもしれない。小学校すらまともに通えず、中学はほぼ休み、高校には行ってません。でも何の誇りにもなりませんからね、これ。

 

それに「普通」の人生を送ってても「変わった人」にはなれると思います。普通に学歴もあって、普通に働いてる人でも「言うことが変わってるなぁ」と思う人は沢山いますし。

何も普通の人の道を外れる必要はありません。全くありません。

「学歴」の欄を書く度に胸を痛ませるような人生よりは絶対普通に学校に通って高校卒業した方が良い。鬱や不登校に理解のある社会にはなってきましたが、世間の目はまだまだ厳しいです。

 

 

体調不良が続いてます。

寂しい、と思う時ってだいたい体調不良の時だと思うんですよね。あくまで私の場合ですが。体調が崩れてくると寂しくなってくるのは、やっぱり人間の本能的なものなんでしょうか。

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ちなみに体調不良を超越して寝込み始める段階になると、知識欲が沸き起こります。私の場合ですが。

 

今年の夏、死に掛けたほど体調を崩したことがあったんですよね。

 

理由は夏バテか、ストレスか。胃をやられてしまって、もう飲み物さえ吐くばかりの毎日でした。飲んでは吐いての繰り返しで「私このまま死ぬのかなぁ」と、ぼんやり。

そんな時、気を紛らわせるためなのか知識欲がすごく湧いてくるんです。色んなことを調べて、知って、吸収したくなる。調べることはどんなことでもいいんです。「世界一強い毒性を持つキノコ」から「最近流行りの漫画」まで…もうなんでも調べ上げたくなります。

そうして調べて、寝て、起きて、調べて、寝ての繰り返し。

 

観念して病院に行ったら「血管かぴかぴになってる、次からはもっと早く来てね」と笑われました。

 

まあそれで今こうして生きてるわけですが、瀕死状態で度々頭に浮かぶのはやはり家族の顔ですね。とくに、大好きな母の顔。

母が元気でいてくれてるだろうか、母も体調を崩してないだろうか、とかやたらと気になってしまって。きっと瀕死状態だからこその不安だったんだと思います、私がいなくなっても母には幸せでいてほしいですから。

母の事が気になって、吐き気を我慢しながら電話しましたね(笑)

 

 

多分私がこれから死に近づく毎に、考えるのはやはり家族の事ばかりになっていくんだと思います。彼女ほしい、なんて他人の事を考えられる余裕があるうちはまだ大丈夫です。

今日久々に胃を壊して吐いたので、そんな事を思いました。

鬱に理解のない教師。

私は小学生の頃から不登校気味だったのですが、中学一年生になってから本格的に学校へ行かなくなりました。

でもある日学校から「不登校向けの教室に通わないか?」と提案されました。それが学校嫌いがさらに増すきっかけでした。

 

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生徒指導の先生が、小さい部屋で、マンツーマンで勉強を教えてくれました。その先生はとても良い人です。不登校に理解があり、一生懸命サポートしてくれる姿勢を感じました。

 

でも問題は給食の時間でした。

 

給食の時間だけ、いわゆる「特別学級」で食べることになったんです。そこに通うのは身体的、知能的に問題のある障害者の生徒。その子たちと接するのは別に苦じゃありませんでした。問題は特別学級の先生です。

 

「あなたは身体はどこも悪いわけじゃないんだよね?」

「いつ普通の教室に戻るの?」

「病気じゃないのに、いつまでもここに居るのはちょっと、ねぇ…?」

 

給食の時間のあいだ、特別学級の先生にずっとこんな事を言われました。確かに特別学級にいるのは病気の子や障害者の子たちばかりです。私のように、身体は健康なのに通っている子はいません。

だからこそ、その頃の私にはその先生の言う事がものすごいダメージでした。

 

 

「確かに私は身体はどこも病気じゃない。私の学校に行きたくないという気持ちは、ただの甘えだ。私のしている事はいけないことなんだ。私は駄目な人間だ。」

 

結局、学校へ通うのは三日でやめました。三日間、毎日毎日、先生にああ言われて耐えられるような精神は、その頃の弱い私にはなかったんですよね。

特別学級の先生に言われた通り「体は健康なのに、普通に学校へ通えない駄目な自分が悪い」と思っていたので、特別教室へ通う事すらやめた理由は親にも、親身にしてくれた生徒指導の先生にも言えませんでした。その頃は気も弱くて、とにかく自分に自信がなくて、本当に消えてしまいたかったです。

 

今となってはあの時

「あの先生がヒドイことを言う!!!!もう学校に通えない!!!死んでやる!!!」

と訴えてやればよかったと思います(笑)

 

でも、自分にはそんな事を言う権利もないと思っていたんです。先生の言うことが正しいと、100%思っていたんです。実際、その頃って不登校の子って私くらいしかいませんでしたし。

今思えば本当に、教師も一人間なんだから考え方もそれぞれ、自分にとって嬉しくない考え方をする教師だっているって分かるんですが、学生の頃ってやっぱり「教師=絶対に正しい」と思っちゃうんですよね。

 

今は、あの頃より不登校にも理解のある学校環境が築かれていてほしいな、と願わずにはいられません。